整えるべき一番身近な環境とは?
最近、母を見ていて、
「これって、身体と暮らしは照応してるんちゃうか」と思うことがありました。
家の中を整えることは、大事です。
使いやすい道具を選ぶ。
壊れたものは手入れする。
不要なものは手放す。
自分が心地よく過ごせるように、環境を整える。
でも、そもそも私たちにとって、
一番身近な「環境」って何でしょう?
私は、自分の身体だと思うんです。
たとえば、
使いにくい道具を、
「まだ使えるから」
「もったいないから」
と、そのまま使い続ける。
もらったものだから捨てられない。
気に入ってはいないけれど、使えるから置いておく。
そうして気がつけば、
「なんとなく使いにくい」
「なんとなく不快」
「なんとなく片付かない」
そんなものに囲まれて暮らしている。
でも、不思議なことに、
その状態が長く続くと、
それを「不快」だと感じなくなってくるんですよね。
「まあ、こんなもんか」となってしまう。
母の暮らしを見ていて、
なぜ、この不快をそのままにしておけるんやろう?と不思議でした。
そして、ふと身体を見ると、
身体も動きにくい。
便秘気味になっている。
外側の環境も、
内側の環境も、
「動かない」
「溜まる」
「変えない」
という同じような状態になっている。
もちろん、
「家が散らかっているから便秘になる」
という単純な話ではありません。
でも、
人が暮らしの中でどんなふうに不快を感じ、
それにどう対応し、どこを調整しているのか。
そのあり方が、
身体にも暮らしにも、
それぞれの形で現れることはあるんじゃないか。
私は、そんな「照応関係」を感じています。
便秘になったときも、
「便を出すにはどうしたらいい?」だけを見るのではなく、
「そもそも、なぜ便秘になったんだろう?」
と、自分の暮らしを見てみる。
食事はどうだった?
水分は?
身体は動いている?
睡眠は?
排便を我慢していない?
生活リズムはどう?
必要なら医療や薬の力も借りる。
でも、それだけで終わらせずに、
「この身体が、こんな状態になったことには何か理由があるんじゃないか」
と、自分の暮らしに戻って見てみる。
これは便秘に限った話ではありません。
身体の不調は、「悪いものを消すもの」ではなく、
「ちょっと暮らしを見直してみて」
という、身体からの情報なのかもしれない。
そして、これは家の中も同じ。
使いにくいなあ、という違和感を
「まだ使えるから」ではなく、
「私はこれを使っていて心地いい?」
と聞いてみる。
「もらったから」ではなく、
「これは今の私の暮らしに必要?」
と聞いてみる。
「もったいないから」ではなく、
「これを持ち続けることで、私は何を得て、何を失っている?」
と見てみる。
そうすると、
「本当は使いにくかった」
「本当は好きじゃなかった」
「本当はもう必要なかった」
というものが、
案外たくさん見つかるかもしれません。
最初の違和感の時に、しっかり対応しないまま、感性がどんどん鈍っていくと、最後には、病気=ゴミ屋敷になりかねません。
身体も家も、心地悪いことに関して、
なんとなくほったらかしにせずに、
自分の心地よさを諦めないでほしいなあと思います。
暮らしを整えることと、身体を整えることは、
別々のことではないように思えて仕方ありません。
一番身近な環境である「身体」を見て、
その身体を取り巻いている「暮らし」を見て、
さらにその人を取り巻いている「人間関係」や「仕事」や「時間」を見ていく。
すると、
自分がどこで滞っていて、どこを整えれば、
また自然に動き始めるのかが見えてくる。
私はそれを、人生の歯車を整えること
考えています。
歯車は、無理やり回すものではありません。
噛み合っていないところを見つけ、
余計なものを外し、
必要なところに手を入れる。
すると、
本来持っている力で、
また自然に回り始める。
そんな「人生の歯車」を、
一緒に眺めてみる時間をつくります。
「なんとなくうまくいかない」
「頑張っているのに、なぜか噛み合わない」
「本当はもう少し自然に生きたい」
そんな方は、
よかったら一度、自分の歯車を眺めに来てください。
あなたの人生は、
本当はどんなふうに回りたがっているんやろう?
そんなことを、一緒に探ってみましょう。
徹底的に歯車を整えたい方は、長期講座のごきげんラボへ。
ーー当サロンの今後の予定ーー
またお便りしますね。
田中りん
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